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山口県の遺跡
2007年5月25日(金)〜5月26日(土)
1 山口県埋蔵文化戝センター

@県内の遺跡から出土した土器の復元作業は、ぜんぶここで修復されています。







A吹越遺跡は平生町大野、熊毛半島の脊梁をなす山嶺上にあり、標高280mの典型的な高地性集落です。低地の集落にくらべると異常に多い鉄の矢尻や砥石(といし)の出土や、莫大な量にのぼる炭化米の出土などから、武装集団の駐屯地か、周防灘を見張る監視所だった可能性が指摘されています。



時は3世紀(弥生時代末)、邪馬台国と狗奴国との確執をはじめ、
瀬戸内は前世紀からひきひきつずいた動乱が収まっていなかったと思われます。吹越遺跡は周防灘に向いており、その先には祝島(いわいじま)姫島をこえて、国東半島が望見されます。国東半島には安国寺遺跡があり、安国寺式土器と吹越式土器はは類似性が多く、両地域が密接な関係にあったと思われます(山本一朗)


2常榮寺・伝雪舟庭

@明治中ごろ日本古美術紹介に貢献した米人・フェノロサが、「雪舟は直線と角との世界芸術界最大の巨匠である」と評したが、この庭園は雪舟の水墨画の世界の
具現化であるといえよう。雪舟は日本の水墨画の基礎をきずいた画聖で、日本の絵画史上に残した功績は大きい。



A大内政弘(24代)が雪舟に築庭させたと伝えられる庭とそれををかこむ三方の山林が国の史跡に指定されている。
雪舟は大内氏の船で明に渡るため山口を訪れ、明に渡り、禅学と画技を修めて帰国。応仁の乱で荒廃した京都を避け、大内氏の庇護の下に、生涯のほとんどを山口天花の雪谷庵で過ごし、87歳で没した。


3 大内氏館跡・枯山水庭園・史跡

発掘された枯山水庭園です。奥の立石は、発掘時、倒れていました。


4 山口 大学吉田キャンパス遺跡保存公園

@山口大学は吉田キャンパスをはじめ、遺跡の中に立地しています。

山口大学埋蔵文化財資料館は、1978年に、キャンパス内の遺跡を調査、保存するために創られました。 
以後、キャンパス内の遺跡が数箇所調査され、弥生時代のおおきなムラがあった吉田遺跡は、大学会館南側の丘を中心に、芝生を張った美しい遺跡公園として保存されています。


住居跡には、円形・方形の色レンガを張ってあり、わかりやすく、美しいユニークな保存方法です。


5朝田墳墓群

朝田墳墓群は、山口盆地の南西部にある山地から派生した比高約10mの低丘陵にある弥生時代から古墳時代にわたる墓地群を中心にした複合遺跡です。
弥生時代の墓には箱式石棺墓・土坑墓・石蓋土坑墓・壷棺墓・石囲墓などがある。

6 美東町永登銅山遺跡
(国史跡)

@奈良の大仏をつくる銅鉱石が採掘され、山の麓で、銅を溶かす精錬が行なわれた遺跡群です。

大切山には、立て坑の坑口が30箇所くらいあり、みな坑口が繋がって、山全体がアリの巣のような状態になっているということです。

このなかで、大切4号坑だけが見学できます。坑内には緑青(ろくしょう)や石灰華(せっかいばな)がいっぱい付着しています。
銅の原料である孔雀石(くじゃくいし)は酸化して緑青を吹きますが、ここの緑青は岩絵具として、江戸時代に「滝の下緑青」として有名でした。年間、5000両の売り上げを記録した年もあったということです。

A大切谷(おおきりたに)には広さ5万ヘクタールにわたって銅の精錬カス(からみ)が堆積していて、8世紀初から200年以上にわたって国の採銅所、精錬所として機能していたことを物語っています。  

8 美祢市化石館・美祢市歴史民俗資料館・美祢市化石採集場

tel/fax:0837-53-0189

のこの資料館は、地元出身の岡藤五郎氏が収集のコウモリの化石など10万点の石器をはじめ、市内大嶺町の国道改修工事で収集した日本最大の植物化石塊40点、6000点におよぶ大量の昆虫・植物化石を収蔵する、西日本最大の化石資料館です。
また、昨年5月から、一般に化石採集体験をさせる化石採集場を開設しています。


土器の復元作業室を見学しました。ここで土器の復元をしている女性の中には、15年も勤めるベテランもいます。土器の年代などもよく勉強していて、何でも答えてくれました

安国寺式土器と吹越式土器の類似する器台(上下)


















正面の山が、古い銅山の跡がある大切山


大切4号坑口




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