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奥野正男著作目録

奥野正男著作目録U
(1974年以後の古代史関係分のみ。単著18冊、共著20冊)

単著
@『邪馬台国はここだ』(毎日新聞社.1981年)
A『邪馬台国の鏡−三角縁神獣鏡の謎を解く−』(新人物往来社.1981年)
B『考古学から見た邪馬台国の東遷』(毎日新聞社.1982年)
C『邪馬台国発掘』(PHP研究所.1983年 )
D『騎馬民族の来た道』(毎日新聞社.1985年)
E『騎馬民族と日本古代の謎』(大和書房.1987年)
F『邪馬台国はやっぱりここだった』(毎日新聞社.1989年)
G 『邪馬台国発掘』 PHP文庫 (PHP研究所.1989年)
H 『吉野ケ里遺跡の謎−よみがえる邪馬台国』 (PHP研究所.1989年)
I 『邪馬台国はここだ』徳間文庫 (徳間書店.1990年)
J 『邪馬台国は古代大和を征服した』 (JICC出版局.1990年)
K 小説『卑弥呼−邪馬台国英雄伝−』(プレジデント社.1991年)
L『鉄の古代史1−弥生時代』(白水社.1991年)
M 『大和王権は広域統一国家ではなかった』 (JICC出版.1992年)
N『邪馬台国紀行』(海鳥社.1993年12月)
O 『鉄の古代史2−古墳時代』 (白水社.1994年1月)
P『古代人は太陽に何を祈ったのか』(大和書房 1996年) 
Q 『鉄の古代史3 −騎馬文化』 (白水社.2000年1月)

共著
@ 「韓鍛(からかぬち)・卓素の系譜 」(『日本文化と朝鮮』第3集 新人物往来社・1978年刊に所収)
A 『座談会・朝鮮と古代日本文化』中央公論社 1978年
B 「青柳種信の『柳園古器略考』」、「矢野一貞の『筑後将士軍談』」(森浩一編『考古学の先覚者たち』中央公論社・1980年刊に所収)
C 『座談会・朝鮮と古代日本文化』 中公文庫 1982年
D 「青柳種信の『柳園古器略考』」、「矢野一貞の『筑後将士軍談』」(森浩一編『考古学の先覚者たち』中公文庫・1985年)
E 『遠賀町誌』 遠賀町 1986年 (全1096ぺージ中、第三編「先史より有史へ」171ページを分担執筆)
F 『日本の神々−神社と聖地−』全12巻 (「九州編」の15社を分担執筆
白水社 1988年刊
G 「吉野ケ里こそ邪馬台国だ」 (安本美典編『吉野ケ里は邪馬台国なのか』
徳間文庫・1990年刊)
H 「沖ノ島祭祀を再考する」 (宗像シンポジウム『古代海人の謎』 海鳥社.
1991年刊)
I 「香春神社と新羅神(韓国文)」(『古代韓国文化の日本伝播』 韓日文化 国際学術大会・ソウル 1992年) 
J 「古鏡」 (『都道府県別・歴史博物館総覧』 新人物往来社 1992年に所収)
K 古田武彦編 『「邪馬台国」徹底論争』 第2巻  新泉社 1992年
L 「筑紫・磐井の大陸的様相」 (『エッセイで楽しむ日本の歴史』上 文芸春秋
1993年)
M 「任那日本府について」(江上波夫・上田正昭監修『東アジアの古代をどう 考えるか−東アジア古代史再構築のために−』 第1回東アジア歴史国際シンポジウム実行委員会・1993年)
N 「海人勢力の政治的結集と発展」(『中世の海人と東アジア』 海鳥社・1994年) O「朝鮮式山城の正体は?」(『幻の加耶と古代日本』文芸春秋社・1994年 文春 文庫)
P 『邪馬台国は東遷したか』(宮崎公立大学開学記念シンポジウム全記録
荒木博之・大林太良・金関恕・佐原真・安本美典・谷川健一・奥野正男
1994年 三一書房)
Q 「わたしの邪馬台国」(『吉野ケ里遺跡』学生社・1995年)
R 「日韓両地域の古代養蜂の分布と伝播経路」「神門神社伝世鏡からみた百済 王族の渡来伝承」(荒木博之編『百済王族伝説の謎』(三一書房・1998年) S 『久保田利男氏寄贈銅鏡目録』宮崎公立大学考古学研究室 1999年。

 史論T(1974年~1989年)
@「韓鍛冶・卓素の系譜」 『日本のなかの朝鮮文化』24号 1974年
A 「九州北部の渡来文化」 『日本のなかの朝鮮文化』39号 1978年』
B 「卑弥呼の鏡は後漢鏡、その墓は平原である」 『季刊 邪馬台国』2号 1979年 C 「邪馬台国九州論−鉄と鏡による論証−」 『季刊 邪馬台国』5号 1980年
D 「三角縁神獣鏡の謎を解く」『歴史と人物』1980年6月号
E「告喩・以死と百余歩−正始八年条の解釈をめぐって−」『季刊 邪馬台国』 8号 1981年
F「三角縁神獣鏡の研究−その祖型と系譜論を中心に−」(第六回郷土史研 究賞受賞論文)『歴史読本』 1981年4月号
G 「酒船石の用途」『歴史と人物』1981年10月号
H 「邪馬台国問題と三角縁神獣鏡の国産」 『季刊 邪馬台国』11号 1982年

(史論Tつづき)
I 「邪馬台国は、筑後川北岸流域である」 『季刊 邪馬台国』13号 1982年
J 「三、四世紀の首長権継承と三角縁神獣鏡」 『東アジアの古代文化』30号
1982年
K「青柳種信と『柳園古器略考』」『歴史と人物』1982年3月号
L「三角縁神獣鏡は日本製だった」『歴史読本』 1982年4月号
M「邪馬台国畿内説の弱点はここだ」『歴史と人物』1982年10月号
N 「矢野一貞の『筑後将士軍談』」『歴史と人物』1982年12月号
O「三角縁神獣鏡の謎」魏志倭人伝シンポジウム『歴史と旅』1983年8月号 P 「鉄器普及の歩均等性と量の問題」 『季刊 邪馬台国』19号 1984年
Q 「甘木・朝倉の考古学」 『季刊 邪馬台国』20号 1984年
R「三角縁神獣鏡が立証する邪馬台国の東遷」『歴史読本』 1984年6月号
S「三世紀の遺跡・遺物と邪馬台国」『歴史読本』 1984年9月号
21 「筑前の古代産鉄氏族」 『東アジアの古代文化』41号 1984年
  22 「邪馬台国と弥生文化」12回連載 『季刊 邪馬台国』 23号〜43号 1986年 〜1990年
23 「好大王碑文の倭と渡来集団」 『東アジアの古代文化』43号 1985年
24 「文化の伝播と渡来人の文化」 『東アジアの古代文化』45号 1985年
25 「百済・伽耶系渡来集団と応神王朝」 『歴史読本』1986年3月号
26 「稲作文化・騎馬民族文化の南下と展開」 『別冊・太陽』1986年9月号
27 「景初四年は存在したか−国産鏡の有力資料−」 『東アジアの古代文化』
51号 1987年
28 「古鏡−古代史の謎を解く青銅器」 『別冊・歴史読本』1988年9月号
29 「吉野ケ里は邪馬台国だ」 『東アジアの古代文化』60号 1989年
30「筑紫平野の渡来文化」『季刊 青丘』1989年2月

史論U(1990年〜1999年以後)
31 「騎馬民族の来た道と考古学」 『東アジアの古代文化』62号 1990年
32 「大成洞古墳群と騎馬民族征服王朝説」『東アジアの古代文化』68号 1991年 33 「邪馬台国と出雲」 『歴史読本』 1993年7月号
34 「大形鉄製武器の東漸開始」 『東アジアの古代文化』74号 1993年
35 「邪馬台国東遷と神武東征」 『歴史読本』1994年4月号
36 「それでも騎馬民族はやって来た」 『歴史と旅』1994年12月号
37 「騎馬民族説と古墳の起源」 『東アジアの古代文化』82号 1995年
38 「国産漢式鏡の製作年代と前方後円墳」 『東アジアの古代文化』89号1996年 39 「三角縁神獣鏡・盤竜鏡の編年」 『季刊 邪馬台国』61号 1997年

(史論Uつづき)
40 「青竜三年銘鏡は卑弥呼の鏡か」『季刊 邪馬台国』63号 1997年
41 「年号や銘文があれば魏鏡と言えるか」邪馬台国』65号 1998年
42 「三角縁神獣鏡と初期ヤマト政権(上)」『東アジアの古代文化』96号1998年
43 「三角縁神獣鏡と初期ヤマト政権(下)」『東アジアの古代文化』97号1998年
44 「邪馬台国の鏡−同范・同型鏡(ふみ返し鏡)の銘文をめぐって」『三毛 の文化』30号 中津地方文化財協議会会報 1998年
45 「卑弥呼の鏡は後漢式鏡、三角縁神獣鏡は古墳時代の国産鏡」 『′99年日本 の論点』 文芸春秋社 1999年1月
46 「生目古墳群シンポジュウム」 『宮崎日日新聞』2000年(月日)
47 「対談・三角縁神獣鏡の国産をめぐって−森浩一vs奥野正男−」『宮崎日日新聞』踏2000年(月日)
48 「糸島の古代製鉄」 『季刊・邪馬台国』2000年(月日)
49 「踏み返しによる同型鏡の量産」 『東アジアの古代文化』2001年(月日)
50 「日向王国論」 『歴史読本』2001年(月日)

  読み物(新聞・週刊誌など)
「古代紀行−百済・高句麗・扶余−」『世界日報』に8回連載(1988年3月29日〜9月13日)
 「奥野正男の邪馬台国紀行」 (『サンデー毎日』に52回(1年間)連載、1989年10月15日号〜1990年10月7日号)
「倭国の風景−書きかえられる古代史」(『毎日新聞』に下条信行愛媛大学教 授・甲元眞之熊本大学助教授・高倉洋彰西南学院大教授らと14回連載。そのうち3回分担執筆。1993年6月日〜1993年9月3日)
「元岡遺跡の世界遺産的意義」 (3回) 西日本新聞2000年(月日)


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